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新潟市亀田体育館「アスパーク」でイベント。
社会福祉協議会のバザーのお手伝い。
NAMARAの江口さんがいたので、
勝手に似顔絵を描いて、サインもらっちゃった。
江口さん、ありがとう。
ひまわりの種をもらった。
夏に植えて秋に種を収穫。
来年の夏には福島にひまわりをいっぱい植えるのだ。
(ひまわりには土壌改良の効果があるのだそうだよ!)
6月に種をもらって、7月に植えた。
8月に満開!
9月には種がとれるだろう。
小さな花のひまわりだけど、本当にきれいな花。
来年の自宅用に、少し種を残しておこうと思う。
頑張れひまわり!
9/9に「ひまわりには、放射能吸収効果がない」という報道があった。
ショック!
プロジェクトのメンバー達は、ショックを受けつつも、
民間グループの「一定の効果がある」という結果に期待を寄せて
種を集めている。
実際に効果が無くても、迎えにいってあげられなかった人達への気持ちを、
ひまわりに託して来年咲かせてあげたいと思う。
14:30頃 気仙沼を出発した大船渡線の車中にて
M7.0 震度5弱 でも揺れに気付かず。2両編成の単線が故か?
停車した駅から乗り込んで来た人に知らされて、
ボックス席の他人同士で、それぞれの携帯情報を確認しあう。
その時どこに居て、誰といるかで、運命の変わる事もある。
緊急時に、私はその場で役に立つ事ができるか、
停車したままの電車の中で、自分の基本的な生命力、知恵とタフさ、
なんて事を考えながら、運転再開を待っていた。
一ノ関から乗る予定の電車に間に合わない可能性が出てきて、
新潟へ帰る高速バスに間に合うか、微妙になってきた。
発車時刻は不明だったけれど、急遽仙台行きの高速バス乗り場へ向かう。
結果的にこの判断が正解で、発車直前の仙台行きに乗ることができた。
仙台駅で食料を買い込み、新潟行きの高速バスに乗り込む。
天気が悪くなったおかげで、気温が下がる。
夏休みを利用して、里帰りする人、旅をする人、ボランティアに来る人
私はここで何をてしいるのか、カメラを向ける資格はあるのか、
常に戸惑いながらの東北の旅。
この記憶を焼き付けて、長く支えていく覚悟をする旅。
また来ると決めた旅。
http://www.k4.dion.ne.jp/~hiro.t/takahashidairy55.htm
マイブックを始めた頃にWeb上で知り合った方だ。
お盆に東北へ行くと決めてから、高橋さんが出身地で、
展覧会を開催していると知って、ぜひ会いたいと思った。
会場でひと通り絵を見て、机に座る男性に
高橋さんは会場に来るのかを聞いたら、なんとご本人でした。(笑)
思っていた通りの穏やかで素敵な方で、
ゆっくり絵を見ながら、解説していただきました。
絵は、プリントしたり、WEBにあげても、やはり実物が良いものです。
温かい気持ちで宿に向かいました。
行って良かった。
チャグチャグ馬っこは、模型と映像でだけだったが、可愛かった。
ニュースで見た事はあったが、これは素敵な祭りだなぁ。
盛岡の「さんさ祭り」も何種類もの踊りがある事を初めて知る。
この祭りがいかに大切に思われているかが、伝わってくる。
これは、ぜひ実際に祭りを見に来なければ!と心から思った。
私見だが、こういう祭りのある土地は、強い。
どうか、沿岸部を支えて欲しい。
私たちも応援するから。
旅のおおまかな予定は考えて、宿だけは押さえたものの、
途中で、どんどん行き先を変更
最終日に北上に行きたいので、
ますます行程が複雑になってしまった。
その場に会いたい方が居るのかどうかは不明なのだけど。
実際は、この日の夜に新潟を出発。
5月の仙台駅にあったボランティア情報のブースは、
整理されてこじんまりとしていた。
石巻から東北本線に戻って北上、盛岡駅から、宮古へ向かう。
津波はここでも、海岸の家やビルをあっけなく奪い去っている。
宮古の誇る防波堤もモンスターのような鉄扉も、
その上を超えた津波には意味が無かった。
海岸から少し奥へ行くと、すぐに高台状に土地がせり上がっている。
切ないのは、ほんの数十メートルで、運命も仕切られてしまっていること。
あの寒い日に、防波堤を超えてきた津波の高さと、
ここで波に飲まれた人の事を思う。
真逆の暑さの漁港跡には、錆びて朽ちようとしている鉄骨と
工場の基礎が残るだけ。
盛岡で食べたじゃじゃ麺の「白龍」で待つ間にスケッチ。
親子なのかよく似た二人。
盛岡は初めて。なのでじゃじゃ麺も初めて。
うどんのような麺に、味噌ダレを絡めて食べる。
おもしろーーーい。
最後に麺を少し残してお願いすると、熱いスープを入れてくれる。
そこに生卵を割り入れ、混ぜて食べる。
こういうの結構好き。
最初どうしてよいのやら分からなくて、キョロキョロしていたら、
隣のおっちゃんが、いろいろ教えてくれた。
盛岡は濃い緑に覆われて、心なしか涼しく感じる。
古い町並みは、震災の被害も見て取れない。
県都が内陸であったのが、何よりの救いだが、
地元の人からは「申し訳ない」という言葉が漏れた。
そうでない事は、みんな分かっているのだが。
言わずにはおれないのだろう。
(実際の8/15、新潟には北前船の『みちのく丸』が寄港。)
8/16の夜に高速バスで出発し、17の早朝に仙台に到着。
ボランティアで行く土地以外の状況を、
どうしてもこの目で確かめておかなくては、と思った。
朝6時、仙台駅内の立ち食いそば屋でカレーを食べてから
石巻へ向かう仙石線に乗る。
途中、松島海岸駅から矢本までが代行バス区間になっていた。
名勝の松島も船着場の周辺だけが、一見普通に見えるものの、
少し外れると手付かずの津波の跡が続く。
石巻の駅からは歩いて旧北上川の中洲にある石巻漫画館へ向かう。
町の中心地は、未だに信号が復旧しておらず、
他県からの警官が交差点で車を誘導していた。
道路のガレキこそ撤去されていたが、商店街の一軒一軒は、
震災後の状態が半分以上。
陸に打ち上げられたヨットとビルの間から、
白い円盤のような漫画館が覗いた。
遠目には、あまりに綺麗なので、開館しているのかと思うが、
近づくといたるところが津波の被害を受けている。
隣接する小さな公園の遊具に日の丸の旗が立てられていた。
描いている間も、ジリジリと背中に強い日差し。
(実際の8/14は、お盆の諸々と掃除・家事で過ごしていた気がする。)